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  • 執筆者の写真Didjemaka aka フジイマコト

#Didjemakaと巨人伝説(実話)


ブログ始めました!


ディジュリドゥプレイヤーDidjemaka aka フジイマコトについて自己紹介も兼ねてちょっとだけアレコレ書きます。


1976年4月1日(エイプリルフール)

福岡市博多生まれ


身長191㎝

体重75㎏

地元博多の御供所(ごくしょ)町では数々の巨人伝説を残す。


保育園年長時の身長はおそらく小3レベルだったような。そして、靴のサイズが22.5㎝だった為、保母さんが僕の靴履いて喜んでたのを鮮明に覚えている。w

僕の巨体と保育園のチューリップ型の名札がミスマッチ過ぎる為、保育園の門を出たらすぐに名札を外してた。西鉄バスに保育園児料金で乗る度に、運転士に注意されてた!w


小4でランドセルが体に合わなくなり(見た目もw)特別措置で、市販の斜め掛けのカバンを許可された!今考えると、かなり先進的な措置だったなー。感謝!


1歳から出てた博多祇園山笠で、初めて大人に交じって山(デカい神輿の様なモノ)を担いだ(博多では 舁く と言う)のは小5だった。3番棒見送り台下!(説明省きますw失礼!)


小6時の身長は170㎝!靴のサイズは27㎝!担任の先生と同じレベルだった!

中3の終わり頃には189㎝になってて、ほぼ今と変わらない!!

あれから身長は殆ど伸びなかったんだな~。


そんなデカい僕は、小3から大学4年までバスケットボールに情熱を燃やしたのでした。

高校はバスケの名門校へ推薦入学し、大学も関東の大学にバスケット推薦で進学!

受験知らずのプチスポーツエリートだったな~昔は。。


大学4年目で急に自分のバスケット以外の事への無知さに気付き、外の世界へ目を向けるのでした。

キャプテン候補だった僕は丁重にお断りし、卒業後の実業団入りも拒否し、バスケット以外の道で新たな道を歩み出します。(実業団入っても10年弱で引退だし、その後の人生ってどうなるの?って思ったのよね。)


大学卒業後に、バイトで貯金して、何と無く興味をそそられてた国オーストラリアへワーキングホリデーVISAで1年間滞在し、2か月目にディジュリドゥという素晴らしい楽器に出会い、、、「コレはヤベー」から、、、色々経て、、、数々のストーリーを経て、今に至る。笑!


オーストラリアでの1年間でフジイ青年の常識は粉々に崩れ去る訳です。予想通り。


同時に英語という強力な武器をたった1年で身に付けるという驚異的なパワーを発揮したのでした。驚

因みに、それまで英語は苦手で、英語の成績が原因で大学で留年した程でした。

一体フジイ青年の身に何が起こったのでしょう?!


その続きは次回!!


皆さん、どうぞ宜しくね!!









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